EMTのCDプレーヤーと聞けば心が躍る。その独特なデザインに違わない骨太のサウンドを思い出すからだ。心に残るCDプレーヤーを10台挙げろといわれたら、その中には“STUDER A730”と共に“EMT 981”“EMT 982”を必ず入れたい。特に“982”は、個人的に選ぶベストCDプレーヤーの称号を与えても良いくらい惚れ込んだモデルである。そんな思い入れのあるCDプレーヤーの後継機だから、期待するなと言う方が無理だろう。エレクトリから届いた“986(試聴機ではなく、展示機として早速購入した)”の箱を空け、急いでシステムに繋いで電源を入れる。
“986“は、最新のスタジオユースに耐えられるように、様々な機能が搭載されている。機能だけではなく、CDなのにHDDまで搭載されている。このHDDは、CDを録音したり、LANやUSBでネットワークやPCに接続して音楽ファイルを取り込めるようになっている。“986”は、CDのみならずMP3も再生できるのだ!
一刻も早くCDを聞きたいとあわてる私の気持ちとは裏腹に、“986“は、電源を入れてもすぐに立ち上がらない。まず、システムプログラムがHDDからダウンロードされる。しばらくすると“986”は、スタンバイ状態になる。CDをトレイに入れてローディングする。でも、まだ演奏は始まらない。CDのTOC情報は、一旦すべて読み込まれるのだ。電源投入から約1分。“986”は、音楽を奏で始める。
最初に聞いたのは
エゴ・ラッピン“Swing for joy”
ボーカルの表情が素晴らしい。とにかく文章を書くのを忘れて、文章を書く時間がもどかしく手が止まるほど音楽に気持ちが入ってしまう。抗えず、筆を置いてCDを最後まで聞き終える。その日は、POPSを中心に片っ端からお気に入りのCDを聞き続けた。自然と手が進んだのは、普段良く聞いているJ-POPではなく、スティービー・ワンダーやダイアナ・ロスのような大御所や、カーラ・ボノフ、ジョディ・ワトリー、ブレンダ・K・スター、少し前の懐メロ的なPOPが多い。軽いPOPSよりもそう言う「コク」のある往年のPOPSが“986“には、よく似合うと直感的に感じたのだろう。
翌日は、クラシック系のソフトを中心に聞き慣れたクラシックのソフトを中心に聞いてみた。ヒラリー・ハーンのバイオリン、五嶋みどり、吉野直子のハープ、お決まりのカンターテ・ドミノ、往年の名演奏の定番、フルトヴェングラーなどなど。コンサートでは、決して味わえない豪華なプログラム。
3日目は、ちょっと古めのJAZZを中心に聞いてみた。ビリー・ホリデイ、初期のチェット・ベイカー、ダイナ・ワシントン、アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバ、カーメン・マクレーのマイ・ファニー・バレンタイン。どれもこれも定番中の定番。スタンダード中のスタンダードだ。これも、決して生では味わうことのできない超豪華なプログラムだ。
4日目以降は、あらゆるソフトを貪欲に、思いつくまま聞いてみた。
今日でちょうど“986を聞き続けて5日目になるが、教務機らしくその間一度も電源を落とすことなく使い続けている。
ここでちょっと冷静にリポートしよう。
1~3日目は、ただ興奮して“986”の虜になっていた。とてもドイツ製とは思えない、色っぽく熱い音。
4日目に、弱点に気付いた。音の立ち上がり、楽器のアタックの部分が柔らかく、メリハリが足りないのだ。そのために、楽器に近接して録音されたようなソフトでは、切れ味が物足りなく感じられることがあった。ソフトによっては、それが致命的な欠点のように思われた。惚れた女のほんの一瞬の嫌な仕草に熱がす~っと覚めたときのような感覚。このCDの音は、まやかしだったのか?騙されていたのか?あんなに熱を上げていたのに。
今は、夜の10時。仕事はとうに終わっているが、まだ会社に残って“986”を聞いている。
もの凄く暑いけれどエアコンは、数時間前に切ってしまった。エアコンの騒音が気に入らないからだ。
最終確認のためかけているソフトは、「峰純子」。私がオーディオショップを始めた頃から、何百回となく聴いてきたレコードのCD盤。あらゆる機器の音と共にこのソフトの音は、私の記憶に鮮やかに蘇る。なぜこのソフトを最後に選んだのか?それには大きな理由がある。
峰 純子 / チャイルド・イズ・ボーン (TDCN-5127)
第一の理由は、このソフトを「レコード」で数百回以上聞き込んでいること。そして、そのマスター(音源)が同じCDを持っていることだ。これなら、アナログとデジタルの音を比較するのは容易い。
しかし、なんと言っても最大の理由はこのレコードを「EMT TSD-15(MCカートリッジ)」で聞いたときの感動が忘れられないからだ!あのときに感じた、まるで時間が止まっているのでは?と感じるほどゆったりと、豊かに流れた濃密な音。その音が忘れられない。それが一瞬のまやかしであったとしても、あれほど濃密でクリーミーでセクシーな音であのレコードをそれから聞いたことはない。もし、その感動がCDで蘇るなら・・・。
願いを込めてCDを聴く。リピートして、もう一度最初から聴く。
納得した。すべてOK!だ。
“986”から流れるのは、私の記憶に違わない“TSD-15”そのものの音。時間を止めるほど濃密で、日常のすべてを忘れさせるほど艶やかで、ボーカリストに恋をするほど情熱的。
プレイバックされるサウンドからは、時空を越えた熱い思いが伝わってくる。音楽が生まれ、そして消えていった。その一瞬の気配が今ここに鮮烈に蘇る。
そうとしか感じられない、そうとしか表現できない、なんて美しい音色でCDを奏でるのだろう。未だかつてこんなに美しく、鮮やかな楽器の音をCDで聞いたことはなかった。ソフトによっては、やや柔らかすぎると感じたその音も、この色彩を生み出すための隠し味だったのだ。
“986”は、こんなにも濃密な音でありながら癖が感じられない。不思議だ。こんなにも情熱的な音でありながら、ソフトの録音を選ぶ。こんなにも艶があるのに、ソフトの粗を消すことはない。素晴らしく音楽的なのに、コンシューマに流れないプロの音。スタジオの系譜。何というCDプレーヤーなのだろう!
“981”・“982”の音質に磨きを掛けて、10年近くの時を経て“986”は、見事にEMTのサウンドを蘇らせた。
ボーカルの生々しさ、唇の濡れた動きが見えるほどの濃密な音。生演奏のグランドピアノを聞いているかのような、濃密な極彩色の色彩。唇のテンションが見えるようなトランペットの響き。それぞれの楽器の音色、ボーカルの声色が渾然一体となって生まれる、時を止めるほど、息をのむほどの、すばらしい世界。こんな音がCDで聴けるなら、立ち上がりの少しの緩さは許してしまおう。
私がAIRBOWで過去に実現しようとしたのは、「輪郭(アタック)」を明確に描いて楽器の音を生のように聞かせようと努力して得られた「写実的な音」。どんなメーカーの製品よりも細やかで、明瞭な音。あたかもそこで楽器が鳴っていると感じられるようなそんな音を目差していた。
“986”もある意味では、モニター的だが音の出方がまるで違う。同じ楽器の音を表と裏から見ているかのように、過去のAIRBOWと好対照を成す音。「輪郭」ではなく「内側(音色)」で楽器を描き分け、その色彩の多彩さで楽器を生々しく聞かせてくれる。これは、デジタルではなく完全にアナログの手法ではないか?こんなことがCDでできるなんて!
私はできなかった。過去にチャレンジしたものの上手くいかなかった。音が緩くなりすぎたのだ。
しかし、“986”は、緩さとキツさのギリギリのバランスで、猫の額よりも小さい針の先ほどのピンポイントのステージに、CDの音を載せてそれを成し遂げてきた!驚くべき技術!驚くべき執念!
過去にもそして将来にも“986”がたっている場所に、他のCDプレーヤーが立つことはないだろう。
AIRBOWの最高モデルUX1SEと“どちらが良いか?”なんて比べるのも野暮なことだ。最初から、登っているルートが違うのだから。AIRBOWは、写実系から、EMTは抽象系から、どちらも頂点を極めて行くようなイメージだ。
“986”は、良い意味で言うなら今までになかった音。悪い意味で言うなら、アナログの完全なるCDでのコピー。でも、それがなんだというのだろう!もし、あなたが“986”に惚れてしまったら、他に比べるCDプレーヤーはない。過去にも、そしてきっと未来にも。
5日間付き合った限りでは“986“では、すべてのCDを聴けないかも知れない。アナログ録音(ADD、AAD)のCDには、ベストマッチするが、録音の悪いデジタル録音(DDD)のCDとは相性が悪いかも知れないし、ソフトによっては、他のCDプレーヤーで聞くそれと随分違う印象を与えることもあるだろう。
しかし、今あなたが国産デジタルプレーヤー、アメリカ製ハイエンドデジタルプレーヤー、特性重視の薄っぺらいデジタルの音に辟易としていらっしゃるなら“986”を選ばれると良い。
高い機器ばかり薦められて、音楽を聴くのが楽しくなくなってきたと感じられたなら“986”を選ばれると良い。
オーディオから足を洗って、音楽だけを純粋に楽しみたいとお考えなら“986”がその願いを叶えてくれるはずだ。
最新オーディオ機器が置き忘れてきた「some thing」それが、“986”にはたっぷりと詰まっていると私は思う。個人的な好き嫌いや趣向は抜きにしても“986”は、将来TSD/XSD15や927/930と同列に語られて良いだけの「名器」としての資格を持つだろう。